社長の防災記録~能登編 後編~

翌日行った珠洲市は、輪島並みかそれ以上に道路が大変な状態で崩れたままの家も増えてきました。

信号や電柱が傾いたままの光景は見慣れたものの、相変わらず道路からの衝撃には慣れてこない。

ついついスピードを出してしまう幹線道路で、車が宙を飛び、「しまった!」と思った直後に社内の荷物や備品が全て飛び上がるほどの衝撃を受けながら着地。スマートフォンを固定して運転しながらも、ナビを見やすくするためのホルダーの接着が根元から外れて元に戻らなくなるということも。絶対もう二度と、2トントラックでは能登に来ない、と固く心に誓いました。

能登町から浄水装置と800ℓ入るローリータンクを引き揚げてミッション完了だと思っていたら、「まだ珠洲の奥で水が使えない地域があるから置いといてほしい」との地元の方からの要望がありました。元々水に困っている方の役に立とうと思って持ってきていたので異存はなかったですが、トラックで来る要因となったローリータンクは引き揚げさせてもらいました(現地にもあるらしい)。

能登町に着いたら、大雨だった(^^;

機械だけなら乗用車の後部座席でも運べるから、ひとまずトラックからは卒業や!と意気込んでいたら、能登町の現地に到着する直前に警報並みの大雨が……ちょうどタンク内の水を抜く時間が要ったので、その時間のおかげでやや小降りに。軽くなったタンクと敷いておいたパレットを積み込んで、ロープをかけて車に乗り込んだと同時に再び豪雨。「俺って持ってるなあ」と思いつつ、友人の待つ福井市に向けて出発しました。

その後、暗くなって道路の補修状況がわからず、ことごとく段差からの衝撃を受け、見知らぬ土地でのヘッドライトからの路面反射に目を奪われながら、身も心も神経もすり減った状態の自分を福井の地酒と友人夫婦が癒してくれました。

翌日の福井にて

まさか、この3日後にあんな豪雨被害が能登半島の、しかも訪れた所ばかりで起こるなんて全く予測不能でした。

中屋トンネルは間違いなく通ったし、床上浸水した仮設住宅の横も走り抜けた。今、同じ所へ行こうとしても、土砂崩れで道路が寸断されて辿り着けません。輪島はようやく地元の方達が立ち上がりかけていたところでした。珠洲も様々なボランティア団体の支援体制が動いていたところなのに天は味方してくれない。

珠洲で雨の中、祭りに繰り出していた人たちは今どうしているだろうか。

まずは地域の方々のご無事を願い続けるしかありません。祈るしかない日々が本当にもどかしいです。助けてくれる神様がいるなら、能登に舞い降りてほしい。

~後日談~

この時も含めて、能登半島に行った際には全て一緒に行動していた㈱C-SOSの地村社長が、9/25~26に長野県から能登入りし、徳島県から身動き取れなかった自分の代わりに珠洲市まで浄水装置をハイエースで運んでくれました。これ1台で1時間に1800リットルの用水路や川の水を、ろ過&殺菌して飲める水にすることができます。本当に困っている方のお役に立てそうで嬉しい限りです。

地村社長の勇気と被災地へのアツい思いに感謝です!

ハイエースに積み込まれた浄水装置
現地の方の手元に届けてくれました
地村社長(右)、ありがとう!

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