社長の防災記録~能登編 前編~

9月14~16日の3連休を活用して能登支援第3弾に行って参りました。
そう、あの豪雨洪水の1週間前です。あの時はそんな未来は1ミリも想像できませんでした。

今回の災害で被災された方々に心よりのお見舞いと、残念ながら亡くなられた方に心よりお悔やみを申し上げます。

9月14日は早朝4:10に会社で2トン車に乗り換えて出発し、のと千里浜道の駅11:00集合にギリギリで間に合わせました。

のと千里浜道の駅の駐車場にて

朝から完璧な天気で雨の心配は皆無でしたが、9:00過ぎにはエアコンが欠かせなくなる暑さでした。

7月に全戸に水道が開通し、炊き出しも終了したので、能登町の宇出津(うしつ)地区の炊き出しボランティアに貸し出していた浄水装置と水タンクを引き揚げに行くのが、今回の主目的です。

2月に設置完了した時の写真

本当はお盆明けの8月16~18日に行く予定だったんですが、例の南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が8月8日に発令されて、現地の方からも「こんなタイミングで経営者が会社を空けて万が一の事が有れば社員さんが指揮命令系統が取れなくて大変だから、延期した方がいい」と言われて9月に延期して今回に至りました。

当初は自分も加入しているチーム「Re:防災」の3名で行く予定でしたが、さらに2名が加わり、計5名でそれぞれの支援してきた場所や人に赴き、話をさせていただきました。東京及びその周辺から3名、信州から1名、四国から1名の5人編成です。

懐かしの、というか毎回恒例の「のと千里浜道の駅」で集合し、近くの回転すしで昼食を摂ってから、これまた近くの「なぎさドライブウェー」にて砂浜を運転し、SNS用の写真撮影をしてから最初の目的地の輪島へ向かいます。

左端が自分です

500km以上ここまで走ってきたので、さすがに燃料残がヤバくなってきて、地元のガソリンスタンドで給油をしようと立ち寄った志賀町で、その日の宿をたまたま発見して一安心。そして目的地の輪島が近づくにつれ、カラダでその事が分かるようになります。

道路の段差補修を現地の業者さんは頑張ってくれてはいたんですが、それでも2トントラックのクッション性がほぼほぼ無いため、衝撃がモロに伝わってきて、減速し忘れてると車内のメモやペン、テープ類やペットボトルまでが全て跳ね上がって足元に転がり、運転しながらそれを手で拾うという事を何十回も繰り返す羽目になりました。

輪島に着くと、以前泊まったことのあるビジネスホテルが、ガラスが割れたまま営業停止していたり、「危険」と書かれた赤い紙が貼られているままの家が増えていたり。

よくニュースで見たビルがそのまま横倒しになっている現場の横を通って、朝市のあった通りへ……。

ま、マジかー……

着いた途端、「…………。」

しばらく声が出ませんでした。

解体中の現場で見る光景にしてはあまり進んでいない。焼けた跡は徐々に更地に近づいているけど、座屈したままの店もある。お土産のお猪口を買った店は、もうない。石材舗装がそのままだから、朝市があった場所なのは確実。なのにその両脇にあった店は、…どっかに行ってしまった。

魚の干物をまとめ買いしてクール便で送った屋台の店も、優しい笑顔で岩ノリの説明してくれて、それに釣られて買った店も、「兄ちゃん、安くしとくよ」と声をかけまくられたパラソルショップのおばちゃん達も…もういない。

今の朝市商店街
かつての朝市商店街(2020年3月)※開店前

遠くに聞こえる重機の音と、たまに通る車のエンジン音以外は何も聞こえない。
数えるくらいの作業員さんと立ち入り禁止のバリケードの前で座って見張ってるガードマンさん、そして県外か県内からやって来て写真を撮りまくっている我々のような人間しか街にいない。

と思ったら、街のちょうど角にある饅頭屋さんはそのままの建物で変わらずに営業していました。

何か嬉しくなって、思わずまだ売り切れてなかった「えがらまんじゅう」を5個買い、そこから広がった会話でようやく地元の方の声を聴けました。

冷凍保存の分がまだ残っていた
小腹すいたタイミングにバッチリ!

地元の方は「あいうえお」の発音をハッキリ言うのが苦手だから、「えがらまんじゅう」は元々栗の「いがら」を模した模様から「いがらまんじゅう」と言ってたのが始まりらしいです。

この日から2日後のタイミングで、9/16(月)のNHK番組、鶴瓶の「家族に乾杯」でこの店や街の様子がOAされていたようで、その写真を仲間がLINEに送ってくれました。

鶴瓶の「家族に乾杯」にて 
えがらまんじゅうをいただいた仲間

その後、海に近い集合店舗でお土産用に輪島塗の箸を買うことに。
店主さんは輪島塗の職人さんでもあり、思いを込めて本物の輪島塗と仕入れてきた商品との違いを語ってくれました。75歳の後期高齢者に近いお歳だと聞きましたが、いまだにセグウェイに乗って近くを移動しているらしいです。普段のお客さんは1日に1~2組ほど。職人さんが輪島を離れて、仕事もないまま技術が継承できずにいることを憂慮していました。人間国宝が埋もれていく危機を感じました。

セグウェイを乗りこなす輪島塗り職人(^^)

その後、どうしても気になって10階建て以上のルートインホテルの正面に向かえば、恐れていた通り玄関にバリケードが張ってあり、営業がストップしていました。
何となく傾いている気がしたけど、まさかの解体するしかない状態……
以前は浴衣を着たお客さんがそこから街に繰り出していたのに。

通りの反対側の飲食店がいくつかある通りも、かなりやられていました。
かつて美味し過ぎて食べ過ぎてしまった海鮮系居酒屋を見に行く勇気は無かったです。

その後、仲間の会社製のトイレがお役に立ったお寺や、被災時に大変な目に遭った病院の看護師さんのインタビューの声を聴いて、トイレの備蓄がいかに最悪の状況下において助けになるのか、まざまざと感じさせられました。

でも、なかなか世間は腰が重い。
「災害時での追い込まれた中での対応はネガティブだけど、平時の事前対策はポジティブに進めていける」という看護師さんの声に光を見た気がしました。

子どもたちや地域の方達と楽しい要素を組み込んで防災対策をゲーム的にやっていけば、それが当たり前になる世界が来る。今の日本は事前対策に力を入れずに被災してから大きな出費を被る。そして、被災地への支援はボランティアに委ね、公的な支援は一番最後に回ってくる。自分たちのような防災製品を扱う企業が、寄付することが当たり前な空気になっている。

それでは本来の防災対策とは言えず、全てが後手後手。ここが台湾と日本との大きな違いらしい。台湾は国の指導の下、事前の準備が整っています。だから非常時の支援の動き出しが早い。
日本もそうなるべきだと、自分たちの「チーム Re:防災」は「災害対策のシートベルト化」を掲げて、様々な方面に働きかけています。

 「Re:防災プロジェクト」のメンバー達

後編へつづく

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